【名前】吉田颯汰
【職業】デザイナー/ライター(WEBコンテンツ、セールスレター)/アフィリエイター(情報商材系)/
【好きな人】苫米地英人/佐藤優/成瀬雅春/沖正弘/菊地成孔/亀田誠治/藤巻浩/水野正敏/(敬称略、順不同)

個人的な話は置いといて、長くても良いけど「具体的にどんな活動してる人なのか先に知りたいよ!」という素敵な方は「こちら」へ

「音楽ってなんだ?」が全てのきっかけ

自分の特徴を若い頃から話そうとすれば、まず始めに「無類のゲーム好き」だということは外せないでしょう。

小学生の頃、母親が突然ニンテンドー64とスーパーマリオ64を買ってきた時を皮切りに、中学でも高校でも、どんな時も、寝ても覚めてもゲームが側にある生活をするようになりました。

ゲームがとても好きなことは子供の頃から変わらずですが、そこからもう一つ、高校生の頃にエレキベースを買って弾き始めたのがきっかけで「音楽」もゲームの次くらいに好きなものとなります。

更に高校卒業が近づき、将来の進路を決めるタイミングがあり

「ゲームやってて仕事になるならいいけどなぁ、無理だろうから楽器の演奏でプロとか目指してみよっか…?」

みたいな軽いノリで音楽の専門学校に入学することになります。

今振り返ってもこの時、専門学校に行って色々と学んだのは自分にとって大正解の行動だったと思います。

この専門学校時代にジャズと音楽理論に出会ったことで結果的に驚くほど人としての視野が広がることになりました。

元々ゲームでも攻略本を収集してはボロボロになるまで読みふけり、細かく内部データのレベルまで調べあげて、自分の思いつくままに試して遊ぶ癖があったので、振り返れば自然なことですが、音楽にのめり込めばのめり込むほど

「どんな仕組みでそうなってるの?」

というタイプの関心が強くなり続けて、最終的に音楽も子供の頃のゲームのようにちょっと病気かと思うくらいにどハマりしてしまい、好きでしょうがないものになっていきます。

楽器を弾かなくなる、曲を作らなくなる、「音楽ってなんだ?」がずっと頭から離れない、考えるのが止まらない

ただ、少し困った、というか周りから理解されなくなっていったのは「音楽ってどんな仕組みでできてるんだ?」という疑問から深掘りが続き

「音楽ってなんだ?」
「いい音楽ってなんだ?」
「わるい音楽ってなんだ?」
「音の振動ってなんだ?」
「いい音ってなんだ?」
「わるい音ってなんだ?」
「リズムってなんだ?」
「耳ってどんな仕組みなんだ?」
「なんで均等じゃないだけでテンポが悪くなるんだ?」
「音楽理論って守らなきゃいけないものなのか?」
「変拍子の曲はテンポが悪くないのか?」
「リズムってなんであるんだ?」
「拍子って何のためにあるんだ?」
「均等ってなんだ?」
「高い音ってなんでうるさいんだ?」
「低い音ってなんで腹に響くんだ?」
「トライトーンってどんな仕組みなんだ?」

こんな感じでずっと考えてるのが忙しくて楽器の演奏どころか音楽理論にすら少しづつ関心が向かなくなっていきました。

楽器の演奏もやってきたし、音楽理論に詳しくなって、少なからず作詞作曲もやれなくはないのに、最終的には周囲から見たら

「何もしてない人」

になっていました。

その当時、友人から「何も考えてなさそうに見えて頭の中では物凄いたくさん考え事してるように見える」と言われた事があるのを思い出します。

自分で振り返ってみてもこの当時の自分は不審者度が極めて高かったと思います。

なにせ24時間365日イヤホンを付けっぱなしで、音楽を聴くか、音楽理論の解説音声や教材用音楽を聴くか、メトロノームのクリック音を聴くかしながら、止まっていると考えすぎて頭がおかしくなりそうな苦しい気分になるので一心不乱に体力の限界まで外を歩き回る(しかも当時ヘビースモーカーだったので歩きタバコをしながら)、という生活を続けていました。

「音楽」が知りたいなら「人間」が分からないと話にならないことにたどり着く

もうほとんど病気な状態で音楽に執着していた中でも、一つの転機となったのが

「そもそも人って流れてる音楽を完璧に受け取ってなくない?」

と気づいたタイミングでした。

その当時にやっていた事が

「1.音楽を集中して聴く」
「2.頭の中で曲が流れるイメージを作って聴いた曲を脳内で再現する」
「3.原曲を聴き直して頭の中で再現した時の再現度を確認する」
「【?】何度やり直しても必ずどこか不完全な事に気付く」

というもので、そのときガッツリ不眠症を患っていたのもあって昼夜を問わず外を練り歩きながらずっとそんな事をやり続けていましたが、そのおかげで「人の脳は目の前にあるものをありのまま認識できない」という事実を体感で嫌というほど覚える事ができました。

作曲もしていましたし、専門学校時代にスタッフから演者までいろんな分野のプロの方とお会いしていたので「曲を作る人間がどれほど細部までこだわって一つの作品を作っているのか」よく知っていた自分としてはけっこうな衝撃がありました。

いくらこだわったところで大抵の方は認識に上がる情報量が専門的な知識がある人と比べて圧倒的に少ないし、ましてや知識があったとしても完璧に受け取る事ができる人間はまずいないと気づいたためです。

「それでも人は音楽に好みがあるし、何が良くて何が悪いって自分なりに判断できてるよね?」
「人によって聴く時の癖みたいなのがあるのかも?」
「そもそも人の音楽に対する評価ってなんだ?、どうやって聴いてるんだ?、人によって聴き方が違うのか?」

こんな疑問も山ほど浮かび上がり、相変わらず四六時中考えまくりな生活でしたが、その中でもこのタイミングで特に大事なことに気づけました。

ミュージシャン、作曲家、デザイナー、芸術家、小説家など、「人に何かを表現すること」を生業としている人は世界中に山ほどいますが

「表現を受け取ってくれる《人間》自体を完璧に理解した上で自分の作品を作り、人に見せている人を見た事がない」

個人的に特に衝撃があり、重要な気づきとなったのがこの部分です。

「人が体系的に、どのようにして、どれくらいを作品から受け取るのか?どう反応するのか?」

そんな大前提を念頭にも入れずに何かを作ったとしても「表現する者」と呼べるでしょうか。

少なくとも私は専門家とは思えません。

何かの成功を願う時に「運」が大事とはよく言いますが、確率でどうとでもなってしまうのであればただ「当たり」の目が出るまで賽を振っているのと変わりません。

家を建てる時に大工さんから

「たまにだけど、ちゃんと作っても上手くいかない時があるからね」

と言われているような気持ちになってしまうのです。

恐らく世に認められる、認められないに関わらず、少なくとも人に見てもらおうと思っているタイプの素晴らしい表現者の方は経験則でそこまでをコントロールできているのだと推測できます。

ただ、それですら経験を元に感覚でなんとかしているのだと考えると、私にとっては不満足なことで

「人に何かを働きかけて、狙った通りの反応を100%引き出せる事が、人に何かを伝える事を仕事にした人間の大前提であり、スタートラインじゃないか」

と、強く思うようになりました。

そうと決まれば、まずは「人間」そのものを完璧に把握しなければ話になりません。

ここから音楽を超えて何かを得るため、とにかく手探りで行動していく事となります。

人の「脳みそ」のことなんかどうやって勉強するんだ?

まず、手始めに取り掛かろうとしたのは「脳の勉強」です。

人間を理解したいと思った時、人が音楽を聴いてどうなるのかを超えて、あらゆる意思決定など何もかもを脳が処理しているのであれば、きっと「脳科学」や「心理学」「精神分析」などの本でも片っ端から読めばやりたい事を叶える糸口があるんじゃないかと考えました。

ただ、自分の力で目当てのものに辿りつこうとするのは非常に難易度が高く、この時期は本当に何もできずに歯痒い思いが続きました。

入門書では本当に簡単な理科の勉強のようになってしまって思うように情報が見つからないし、逆に専門的な書籍になればなるほど分野が細分化されすぎててどれを手に取ればいいのか分からないのに加え、書いてあることの意味が難しすぎて全く分からず、目当てのものに辿り着く糸口が完全に見つからないまましばらく時間だけが過ぎて行きました。

金がない、信用もない、とにもかくにもなんもない

ちなみに唐突ですがここまで全く働いた事がなく、お金を稼いだこともほぼありません。

ごく稀にネットから「1万円くらいで買い取るから1分くらいのBGM作ってくれませんか?」と依頼がきて、気分次第でたまにやるくらいです。

親の脛にかじりついて恥ずかしげもなくお小遣いをせびりながらやりたい事だけやっていました。

もともと専門学校を卒業してからほぼニート状態でしたが「行動する糸口」が見つからない以上、

「自分自身としてもやりたい事すら膠着してるのにニート暮らしでもしょうがないな…」

と思うようになり始めます。

ただ、ここまで全く社会経験がなく、ちょっと頭のおかしい行動を独りよがりに繰り返している自分がアルバイトや就職活動をするような考えに行き着くかといえば、そうならないのは自然なことで

「なんとか自分の好きな事だけやってられてお金にも時間にも困らないようなものはないか?」

と考え始めました。

「奇妙な運命だな」と自分でも思うのは、ちょうどそう考えていた時期にネットビジネス界隈で「ネオヒルズ族」や「情報商材」などが流行り、世間でも良くも悪くも騒がれるようになっていたのです。

当然、上記したような典型的な甘えた若者だった自分がホイホイ興味を持たない訳がありません。

まぁ、ただそんなロクでもない性根で行動した人間がどうなるかは想像に難くないと思いますが、余裕で稼げる訳もなくグダグダしたままニート生活続行となりました。

ただ、そんな中でも得たものがあったと自信を持って言えるのは「ネットビジネス大百科」を買ったのと「セールスレター」や「コピーライティング」の存在を知ったこと、最終的にネットビジネス界隈の情報から自力でジェイ・エイブラハムまで辿り着いたことでしょう。

そもそも「音楽と人の反応」というテーマでどっぷりとのめり込めるような趣向を持つ自分から見ると

「セールスレターを書く技術」

というのは「音」か「文字」かの違いがあるだけでとても似通ったものに見えたのです。

案の定、自然と「コピーライティング」や「セールスレター」も自分にとって「ゲーム」や「音楽」と同じように扱うものとなりました。

当時、無料レポートは優良なものも低品質なものも見境なく片っ端からアドレスと名前を入力しまくって、最終的には1日80通を超えるステップメールとそこからクロージングするために誘導されるセールスレターをくまなく読み漁りながら

「こうやって売ってるのか」

と膨大な量の胡散臭い商品を売りつけられつつ学んでいた時期があります。

その当時、自分の選択に後悔があるとすれば研究癖に火がつき、いわゆるノウハウコレクター化していたため今思えば箸が転んでも笑うような非常に稼ぎやすい時期に情報収集するだけで実践まではしてなかったことが悔やまれます。

まぁ、過ぎたことは置いておいて、こんな流れで「ネットビジネス業界ヲタク」になりながらも

「あれ?、音楽が好きなんだと思ってたけど、音楽だけに限定しなくても色々楽めるようになってきたぞ?」

と気付き始めました。

「考えること」が自分にとって止められてもやりたい楽しいことだった

音楽への執着から、ここまで右往左往したおかげで腹の底から確信したのは

「自分が飛び抜けて好きなことは《考える》事であって、対象は自分の視野の広さ次第でどうとでもなる」

という事でした。

音楽もゲームもコピーライティングもマーケティングも、「好きか?」と聞かれれば「大好きだ」と即答しますが、もっと根っこの部分で言えば「哲学者」に近いと気付き、そこから自分でもやっと自分自身の癖に折り合いをつけて生きれるようになったのがこのタイミングでした。

なんとなく、自分で自分の行動そのものに深い理解を示す事ができて精神的に安定してきたため、この辺から全体的にだいぶ冷静になったと今から振り返って思います。

もちろん、冷静になってもやりたい事は昔から変わりませんし、ここからも考え続けるのですが、ここからやっと、やりたい事を叶える糸口が見えてきます。

苫米地英人?なんか胡散臭い感じがするけど…なんだろ…

そんなある日、ふと「年収が10倍になる速読トレーニング」という本を目にします。

普通に見て「はぁ?」となるタイトルだと思いますが、例に漏れず当時の自分もそう思いました。

買うまではいきませんでしたが本の内容や著者には興味が出て

「苫米地英人って人が書いてるのか、胡散臭い本書いてるな、どんな人だろ」

と、暇な時に調べてみたら驚くことに「脳の研究」をしている人であり、加えて激しく混乱する経歴の持ち主だったこともあって強く関心を持つようになりました。

「俺がやりたい!研究したい!と思ってたこと30年近く前から全部やってるじゃんこの人!!!」

その後、苫米地英人氏の本をいくつか調べていたらとんでもないものを見つけます。

「認知科学への招待」
「Dr.苫米地の「脳力」の使い方」

この2冊の本です。

長くなるため細かくは言えませんが、簡単に言うと人の脳の働きを解明して、人工知能の技術に応用している学問を一般向けに紹介している本で「私が音楽のために学びたいと心から思っていたものそのもの」でした。

実際に苫米地博士は哲学科で博士号を取っていますし、不思議と自分が成し遂げてみたいと思っていたことに30年近く前から着手し、多くの結果を残している方だとここで知ります。

自分が今まで「こんなこと成し遂げたら凄いだろうなー」と考えていたことが洗いざらい苫米地博士及び苫米地博士の師匠方の手によって既に80年代辺りから叶えられてる事が分かって、一瞬自分の大事なものが突然全て消え去ったような切ない気持ちになりましたが、ゆっくりと気持ちを取り戻し

「少なくとも苫米地博士を超えるくらいにはならないと自信を持って自分のオリジナルな活動だと言えるようなものは出来なそうだ」

と苫米地博士の本を軸に地盤を固めるため、それまで以上に大量に本を読むようになっていきました。

「できない」のと「できるけどやらない」のは何もかも違う

その流れで出会ったもう一つの知識に「コーチング(TPIE)」があります。

コーチング(TPIE)を簡単に説明すれば「スムーズな目標達成のためのマインドの使い方」を学び、実践する技術です。

学生時代、音楽系の専門学校など比較的夢の大きな人たちの集まりで過ごしてきた事もあって、社会人になった途端に超がつくほどの大風呂敷を広げて行動していた人達が、こぞって夢もクソもないような状態に一瞬で変わるのを散々見ていた自分には

「就職=何もかも奪われてしまうもの」

という刷り込みがありました。

元々、自分の特徴として、自然にしていると全く人と関わらないし大体どんな時でも自分の興味があることに集中してるので、それ以外には超がつくほど無関心になっています。

それが何年も続けば、当然いきなり人と喋ろうと思っても全く喋り方がわからなくなり、挨拶すらまともにできない状態となっていきます。

そんな状態で普通に「履歴書を送って、面接をして、内定をもらって、会社員として働く」そんな行動取れるわけがないのは当然で「できないからやらないこと」としてずっと目を背けていました。

ただ、その時の何がきっかけになったかも覚えていませんが自分の選択で「できるけど、やらないと決めたもの」があるのはいいけど「できない」という理由で逃げなきゃいけないことがあるのは嫌だ、と思うようになっていました。

(実際、できないことから逃げて、訳の分からないプライドぶら下げて、やらない適当な理由をつけながら無駄に虚勢を張る人はあんまり好きじゃないので、偶然そんな人を見たのかもしれませんが、よく覚えていません)

ただ、なんとなくコーチング関連の本をたくさん読んでいたからそんな気持ちになっていたのかもしれませんが

「自分の中で一番やりたくないもの、絶対できないものってなんだ?」

と思った時に「普通に働くこと」と「人と喋ること」の2つが候補に挙がりました。

ここから「この2つ」を「できないこと」から変えるための行動が始まります。

勢いで東京に出る、半分ホームレスな生活

今振り返っても「まずは地元(福島県)でバイトとかすれば良かったのでは?」と思いますが、その当時の自分はなぜかお金もないのにいきなり東京行きの新幹線に乗りました。

住むところもなく、行くあてもないので絶賛ホームレス状態。

どうしても体力が保たず限界な時だけ学生時代に入学の流れで作ることになった限度額5万円のクレジットカードを使い1500円で一晩過ごせるネットカフェに逃げ込んで寝る。

しばらくそんな生活でした。

この当時、怖い目に沢山あったし、リアルに漫画のウシジマくんのような経験をたくさんしたのですが流石にここでは割愛します。笑

幸い、そのあと適当な日払いの仕事についてひたすら金を貯め、とにかく急ぎで安い部屋を借りて、家電量販店や携帯ショップでスマートフォンやインターネットの契約をする仕事に就きながら生活が落ち着くようになりました。

結局、家電量販店などでスマートフォンやインターネットの契約を獲る仕事は3〜4年ほど続け、やっと「人と喋る」が「できないこと」から外れました。

やっぱり今でもプライベートでは全く人と喋りませんが「できないからやらない」のと「自分の選択でやらない」のでは精神的に全く違うので、このおかげで自信がつくきっかけにはなったかなと思います。

「ゴールが消える」ことが何よりも怖いこと

東京に勢いで飛び出す前も「就職=何もかも奪われてしまうもの」という思い込みはありましたが、普通にサラリーマンとして働いていた時にかなり印象に残っていたのは

「何もない人」

の多さです。

もちろんこれは、お金がないとか能力がないとか、そういう話ではありません。

夢や目標、将来のビジョンどころではなく、自分の趣味やあらゆる価値観など片っ端から何もかもが「ない」状態にあり、流せば流されるし、勧めれば言いなりになってくれるし、全ての自分の今までの行動とこれからの結果に自分の責任がないと確信しているような、本当に「何もない」としか言えない人とコミュニケーションを取る機会が非常に増えました。

家電量販店などから凄く簡単な例を挙げれば

「自分の買うものを自分で決めれない」
「自分で何が良くて何が良くないかを判断できない、調べられない」
「必要か、必要でないかを判断できない」
「それなのになぜか買いたいとは思っている」
「自分が欲しくて買ったものを自分で扱えるようになろうとしない」
「自分の今すでにできていることだけでこれからの全ての物事を処理しようとしている」

こんな感じの人と会うたび、そんな人に手取り足取り提案するのが仕事だったのですが、丁寧に案内しておいて「自分だったら」とゾッとしてしまうような、不思議なモヤモヤした気持ちになっていたのを覚えています。

今となっては決してサラリーマンとして働くから「何もない人」になるとは思っていませんが、麗しい苦労の転売行為に加担することで多くの方が「そうなってしまうきっかけ」にはなっていると今も強く感じます。

「やらなければならない」を世の中から全部消すのが自分の社会に提供する役割

「自由な人生」と言った時、想像するものは人それぞれ違うと思いますが、コーチングや哲学を学んでいる過程で、自分の中で特に大事にするようになったのは仏教語としての「自由」です。

掻い摘んで言うと仏教語の自由は「恐怖や束縛、義務からの自由(〇〇からの自由)」ではなく「他の意見や権力によって支配されず、自分にもとづいて生きること」を「自由」と表現します。

※WEBで調べるだけでも「仏教」における「自由」を紹介されているサイトは多くありますが、大谷大学の木村宣彰教授(仏教学)の解説が分かりやすく参考になります。

私がコーチングを学んで地道にコンテンツを作り続けているのは、自分の夢や目標を叶えることに真剣なのもそうですが、嫌というほど「何もない人」と出会い、触れ合ったことで恐ろしいほど「自分にもとづいて生きよう」と努力する人すら少ないことを良く知っているからです。

自分が、いま「完璧に自由な人生」を歩んでいるかと言えば、そうは言えない時もありますが「”そこ”へ向かおうとすること」くらいは当たり前にできるようになりました。

自分が「仕事」とするものは、これからも「自由な人生の歩み方」を教えることでありたいと思います。

色々と手に取ってみたけど、結局自分が正直に「好きだ」って言えるものしか残らなかった

自分の人生まだまだめちゃくちゃ先がありますが、少なくとも現時点までゲームに、音楽に、コピーライティングに、認知科学、コーチングに、最近ではデザインなど、ゲーム漬けの中学、高校生時代や音楽漬けの専門学校時代ではちょっと想像がつかなかったくらいに多くのものを手にして生きています。

実はそれ以外にも、「なんでもやってみよう」のスタンスになってからは趣味や仕事の範囲で色々と触れているものがいくつかありはしたのですが、やはり振り返ってみると

「心から好きなもの」
「止められてもやりたくて自然とやってしまうこと」

と言えるようなものしか残りませんでした。

「一生幸せでいたければ自分に正直でいることだ」

とは、全国的に有名なサラリーマンも言っていましたが、本心ではやりたくないと思っていることを自分に嘘までついてやったとしても糠に釘で、見事に「何もない」状態になってしまいます。

紆余曲折を経て手に入ったものは子供でも分かるシンプルなものでしたが、嫌というほど体で覚えられたおかげで、やっと自由が分かった気がします。

「脳と心」を完璧に理解するのがいつまでたっても何よりの望み

そんなこんなで自分の人生歴のようなものの紹介が終わります。

思いっきり「To Be Continued」な状態ですが、自分個人を一言で「何がしたい人なのか?」といえば「表現と人の反応」に強い興味があるのは相変わらずで、今のところ「脳と心」を「人が人工的に作れるくらい完璧に理解する」というのが第1目標です。

そのためにお金と時間が必要だったり、単純に思いっきり趣味に没頭して遊びたかったり、必ず「やりたいことを見つけて、やりたいことをやるにはどうすればいいか」ばかり考えて生きています。

個人的な経歴以外の、今やっている具体的な活動の内容は「こちら

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